続・小劇場におけるファンサービスのはなし

こんにちは。

前回のエントリを見てくださった方、スターを付けてくださった方、ありがとうございました。

ブログのデザインをころころ変えているので読みにくい時があったらごめんなさい。使い勝手的にもデザインの見映えとしてもどうも気に入っていなくて試行錯誤中です。

 

ファンとの距離の近さ

さて前回のエントリで、小劇場・中劇場においてはファンサービスに対する労働としての比重が大きいように感じると書きました。

 

演者とファンの距離は、物理的なものもそうでないものも含めて、これは小劇場界隈は明確に近いと言えると思います。

物理的なことを言えば、実際に劇場で観劇する際の距離は圧倒的に近いです。

100席程度の劇場で前方席に入ると客席と舞台の近さにいつでも驚きますし、まして最前席なんて本当に目と鼻の先です。手を伸ばせば余裕で触れられてしまう。実際に手を伸ばしてしまっては当然マナー違反ですが。

 

認知についても、対面するファンの絶対数が違ってくるので、顔は勿論、本名やSNSアカウントまで把握されることも珍しくありません(個々の役者さんのスタンスや記憶力にもよるので、小劇場であれば必ず認知されるという訳ではありません)。

認知の有無に限らず、舞台の終演後には面会やお見送りのシステムがあって直接お話することが可能なことも多いです。送り出しの形式的なものではなく、かなり長い時間お話することや撮影が可能な場合もあります。

 

また舞台の予約システムとの関係で言うと、小劇場で上演される舞台では役者さん扱いの予約フォームがある、つまりチケットノルマ及びチケットバックのシステムが取られていることも往々にしてあります。

チケットノルマがある舞台だと、役者さん側もSNSなどを通じて色々な告知や営業をされることになるでしょう。

自分のファン、過去に自分の予約フォームから予約をしたことがある人、果ては面識はなくともその舞台について興味があるような投稿をしている人に、直接お誘いの連絡をされることもあります。

TwitterでDMが来たり、フォロバされたり、場所が変われば「繋がり」と揶揄されるようなSNSを通じた絡みがある場合もあります。

営業スタイルについては本当に役者さんそれぞれなので、ノルマのある舞台であっても個別の営業はしない方もいるでしょうし、ノルマクリア後もチケットバックの為に積極的に営業をかける方もいらっしゃるだろうと思います。

 

チケットノルマ/チケットバックについては一概に劇場の規模によって取り入れられているとは言い切れないものです。

小劇場でも役者扱いのチケットが存在しないところもあるでしょうし、中劇場でも積極的に取り入れているところもあるでしょう。

中劇場より大きい箱になると流石に役者扱いチケットの話は余り聞かなくなるような気がします。その場合はノルマではなく、物販の売上などで役者さんの人気度を測るというようなことが行われていたりするんですかね。

 

推しのスタンス

ここまで一般論としてのファンとの距離の近さを述べてきた訳ですが、ここからは実際に私の推しがどうなのかということを。

 

認知について。

ご本人も観劇や会いに来てくれるファンの顔と名前は覚えたいと公言されており、覚えることも得意で記憶力もとても良い方なので、認知されるのは早いですし、かなり広い範囲で認識されていると思われます。

 

認知のタイミングについて、とある接触イベントで推しから直接聞く機会*があったのですが、実際に私も初めて直接お話した時のことを記憶されていました。

もう何年も前の、当時は特に積んでもいない新参ファンと初めて対峙した時のことを覚えていてくださったことに正直びっくりしましたが、私が特別早く覚えられていたということではなく、誰のことも本当に早く覚えてくださっているという、単純に認知がめちゃくちゃ早い方です。

*「私のことをいつから自分のファンとして認識していますか?」というのを推しに尋ね、同担も居並ぶ中でそれぞれが推しから回答を貰うという、なんというか恐怖の会話が繰り広げられたイベントでした。

自分と推しの認識に乖離があった場合、かなりのダメージを負うこと必至。推しからしても気まずいですよね。限定イベントで、ほぼ顔見知りのガチなファンしかいない場だったからこその会話だったと思います。推しだって普段からそんなことは答えてくれないし、答えたくもないでしょう。

負担を承知でその場限りで応えてくださった珍しい機会でしたが、何がきっかけでイベント全体としてそんな会話の流れになったかはもはや謎です。

 

SNSでの交流はスタンスとしてファンと距離を置かれています。

基本的にTwitterのリプ返はしないことを明言されているので、フォロワー数からすると付いているリプの数は少なめだろうと思います。

だからこそ稀にリプ返してくださる機会があると嬉しいのですが、その時ばかり反応している同担に私は密かにモヤモヤしています。

いや、良いんですよ。推しだってそのツイートへの反応がいつもより増えることを見越しているし、期待している訳ですから正しい反応なんですが、ただただ私の心が狭いだけです。

 

応援し始めた当初と比べると、役者扱いのチケットのある舞台に出演される機会が今は少ないので、予約にまつわるあれこれからは解放されています。チケット購入はひたすら公式やプレイガイドでポチポチするのみ。

今より小さい箱に立たれていた当時も面会やお見送りはしてくださっていたけれど、予約の営業をSNS上で直接かけられたことは私はないです。

同担にしていたかは知らないですし、知る必要もないことですが、あくまで私にとっては推しはその手の営業はしない人という認識です。

 

距離の近さが産む勘違い

最初はその距離の近さに驚いても、不思議なものでいつの間にかその状態に慣れて行くんですよね。

認知されること、話しかけていただけること、SNSなどで反応してもらえることなど、提供されるものに慣れて、やってくれることが当たり前になっている状態は怖いなとも思います。

 

役者としての活動を続けていく中で付随して必要となる仕事と言えるのかもしれませんが、どこまでが仕事でどこからがそれを越えたサービスなのかという境界線は曖昧だなと思うことが多いです。

全部が仕事と言ってしまえばそれはそうなのかもしれませんが、言い換えるとどこまでがやるべき仕事で、どこまでがやった方が良い仕事で、どこまでがやってもやらなくても良い仕事なのかは難しいなと。

 

本業に付随する仕事や無償労働が発生するのは、役者に限らずどの仕事でも起こりうることで、無償のサービスが存在しない仕事というのは現実的ではないのかもしれません。

人気商売と言われることもある仕事だからこそ、それを積極的にこなせる人が評価されるのかもしれません。

そしてその提供されるサービスに一喜一憂するファンとしての自分自身がいることも紛れもない事実です。

 

 だからこそ、好きの気持ちを免罪符に相手に求めすぎていないか、負担をかけていないか、せめてその自覚を忘れずにいたいものです。