プレゼントのセンスに自信がないはなし
ご無沙汰しております。
前回のエントリを見てくださった方、スターを付けてくださった方、ありがとうございました。
筆不精になっている間に巷では新感染症が爆発的に拡がり、世の中に不穏な雰囲気が渦巻いて、エンタメ業界にも凄まじい影響が出る事態になっていますね。
私も例に漏れず現場が飛んだり飛ばなかったりで気を揉んだり、錯綜する様々な情報に疲弊したりしています。
久しぶりの投稿ということで、何のエントリを挙げようかと考えたのですが、この状況だからと言って推し事へのスタンスや思いが大きく変わる訳でもないなと思い至ったので、前回までの自己紹介からの続きを。
小劇場でのプレゼント
このエントリを読んでくださっている皆さまは推しにプレゼントを送られますでしょうか?
私は自分のプレゼントのセンスに本当に自信がなくて、毎回お送りするものについて悩んでいます。悩むなら送らないという選択肢も勿論あるわけですが、手紙は送りたいという気持ちが強いのです。
手紙を郵送するのであれば問題ないのですが、現場でいわゆるプレボに手紙だけを突っ込むのは…という気持ちが働いてしまい、手紙を送るためにプレゼントを探すというケースが多いです。
例外としてプレゼントを送ることを主目的としたケース(お誕生日とか、ね)もたまにはあるわけですが…。
なお、プレボに手紙だけ入れてはいけないなどというルールは少なくとも私の身近な界隈にはありません。私が自分がそうするのを躊躇してしまうという話なので、お手紙だけお送りしている他の方がいらっしゃるとしてもそれは全く問題ないというか、私が何かを感じる範疇のものではないです。
肝心の悩みの種であるプレゼントの中身ですが、界隈で多いのはちょっとお高めの消耗品、デパ地下系のスイーツ、服飾品あたりかなと思いますし、私もこの辺りから選ぶことが多いです。
消耗品やお菓子は当たり外れが少ないというか、座組の皆さまや他の方々と分け合っていただくことが出来るので負担になり難いかなと。その分、沢山受け取られていらっしゃるだろうから邪魔になるかもという懸念点もありますが。
服飾品についてはそれこそ若手俳優さんの界隈の方が定番なイメージがあります。小劇場界隈でも勿論プレゼントの選択肢としてありますし、実際に私もその類のものをお送りすることもありますが、アイテムにしろブランドにしろ定番中の定番みたいなものが無いような気がします。これは送り先の演者さんの年齢層や系統が小劇場界隈の方がどちらかというと幅広いからなのかなと私は思っています。
身も蓋もないですが、プレゼントなんてものは良識の範囲内であれば何を送ろうが問題ないわけですし、仮に突拍子もないものだったとしても送られる方がそれを良しとしているのであれば外野が口を出すものでもないと思います。
だからこそ、正解のない問題に挑み続けているようで悩みは尽きないわけですが…。
推しへのプレゼント
私の推しのスタンスは、プレゼントとして一番嬉しいのは手紙と常に回答をし、受け取った手紙やプレゼントの写真はその題目ではSNSへは挙げないというものです。かつては写真を投稿されていましたがいつからかその対応で徹底されています。
お手元に届いたかどうかの確認をしたいと思うファンは多くて、きっとそうした方が安心するであろうことは分かっていながら、それをしないことには意味があるのだろうと思うから、その事について推しに向けて何かを口にしようとは思いません。
それでも到着確認だけはしたいという思いも自分の中にあることは確かです。
私の界隈だとプレボ管理がしっかりされているところばかりとは限らないという実情もあります。推しの話ではないですが、同じ舞台での共演者の方が、ファンから送られたはずのプレゼント一式が未着で行方を捜索されている、というのを実際に見聞きしたこともあるからです。
お手元に届いた後にどうしようが本当に構わないとは思っています。勿論気に入っていただけたり、使っていただけたりすれば嬉しいことこの上ないけれど、そこは自分がどうこう出来るところではないので。
以前に多ステについてのエントリで述べたことと似通いますが、プレゼントを送るのは自分がそうしたいからすることです。
それが結果として受け入れられるかどうか、分かりやすく言えば推しに喜んで貰えるかどうかは、本来自分が何かを思う範疇にはないことなはずですが、それと分かっていても色々考えてしまうものです。
本心では喜んでいただけると嬉しいという気持ちがあることは否定しません。
私、欲の突っ張った人間だもの。
時間とお金をかけて選んだものが受け入れて貰えるとやっぱり嬉しいですし、そうではなさそうな時は落ち込みます。
そのことを悶々と悩んだ時期もあったのですが、今は自分がそう思ってしまうことは自分の中で完結している分には許容しようかなと思うようになりました。
自分自身に嘘をついて誤魔化しても仕方がないので。
それを推しだったり同担だったりへの何かしらの感情へ向けないこと、を徹底していれば良いかなと…これも言うは易し行なうは難しなんですけどね。
喜んでいただけるのは無理でもせめて迷惑に思われないプレゼントを毎回送れるセンスが切実に欲しいです。
ランダムグッズが好きになれないはなし
こんにちは。
前回のエントリを見てくださった方、スターを付けてくださった方、ありがとうございました。
舞台のグッズあれこれ
さて今回はグッズにまつわる話です。
昨今の舞台での物販には様々なグッズが並んでいますよね。
DVD、脚本・台本といった作品にまつわるものから、パンフレット、ブロマイドといった定番のグッズ、そして缶バッジ、キーホルダー、アクスタ、タオル…といった色々なグッズ。
舞台限りと思っていた芝居も、劇場では見逃してしまったシーンも繰り返し見られる円盤にはいつも感謝しています。
はい、購入します。
パンフレット、ブロマイドはデザインの出来不出来、写りの良し悪しはあるでしょうが、グッズとしての正統感には文句の付けようがありません。
はい、ありがたく購入します。
そして居並ぶグッズたち…
総じてダサいものが多いと思うのは私だけなのでしょうか。
ダサいのも含めて良い、舞台のグッズとはそういうものだと言われてしまえばそれまでなのですが、ダサくない方が私は良いです。
別に自分のセンスに自信がある訳ではなく、グッズとしての完成度やデザインに難のあるようなものが、私の界隈では見受けられるという話です。
2.5系の舞台だともっと洗練されたグッズになっているのかもしれませんが、そのパッケージだけを小劇場へ持ってきてグッズ化してみた感の強いものが最近多いような気がします。
これらのグッズはアニメ・ゲームやキャラクターものから由来して作成されていることが多いのかな。2次元やデフォルメされたキャラクターでは可愛くても、舞台役者にそのまま当てはめると無理矢理感が否めないというか、ファンシー感が違和感を醸し出してしまうこともあるような気が個人的にはします。
そして、そもそも缶バッジもキーホルダーも、デザイン云々の前にグッズとしてあまり心惹かれないという根本的な問題が、、、
え、皆さん本当にそのグッズが欲しいと思って購入されてますか?(暴論)
缶バッジをたくさん付けたいわゆる痛バを持ち歩くコミュニティとは自分の年齢的なものもあってか距離があるんですよね。
若い方だったり、キャラクターものが似合うファッションだったりすればお似合いにもなるのかもですが、自分の普段のファッションや身の回りのものとの乖離が大きいので、私にとってグッズは基本的には全て観賞用です。
グッズ自体が魅力的というよりは、観劇の記念として、そして推しへのお布施の一環として一通り購入する、というのが私にとって恒例になっています。
物販での売上如何が推しの懐具合や評価に繋がることがあるという事実も分かってはいるんですよ。
積めば推しの為になる、それと知っていてもあまりに気が進まない。
オシャレなグッズをください、、、
ランダムグッズとトレード
そしてグッズといえば、最近はどの界隈でもつきものになっているようにも思われるランダム系・ブラインド系・トレーディング系のグッズ。
ブロマイドから様々なグッズまで色々な種類がありますよね。
オタクたるもの、そこに推しのグッズが含まれていれば手を出さずにはいられません。
ランダムグッズは誰が・何が出ても嬉しい、ぐらいの気持ちで引くのが楽しいのだろうなと常々思っています。何が何でも推しを引きたい、全種類コンプしたいという前提だと楽しみな気持ちが薄らいでしまうこともありますよね。
私のスタンスとしては推しの自引きを目指しつつある程度は自分で購入して、同時並行でトレードもという、よくあるやつです。
よくあるやつですが、毎回忸怩たるものがあります。
ランダムグッズにつきもののトレーディング行為が苦手なのですよね。
トレード大好きだし得意という方にもなかなかお目にかかりませんが。
行為の煩雑さというのもありますが、それよりも誰かにとって喉から手が出るほど欲しいものが、誰かにとっては完全に不要なものだと、繰り返し見せつけられる光景や行為に、自分の中の何かが擦り減っていく気がします。
分かりやすく言うと、自分がお金を出して購入したものが自分にとっては不要なもので、だけどそれはきっと誰かにとってはとても欲しいものである、ということに何とも言えない気持ちになるのです。私の推しも他の誰かにとっては同じくそうであるということも同様に。
そして何が嫌かって、それだけ嫌だ苦手だと言いながらも、自分もそれに加担してしまうことです。だって手に入るチャンスが目の前にあるのであれば、推しのグッズが欲しい…。
数多のオタクが望み、けれど実現しないであろうこの言葉で締めたいと思います。
言い値で払うからランダムではなく買わせてくれ。
多ステは誰のためというはなし
こんにちは。
前回のエントリを見てくださった方、スターを付けてくださった方、ありがとうございました。
引用スターというものも頂いた!
興味を惹いた、印象に残った、共感した部分に付けてくださるものなのかなと勝手に理解してとても嬉しかったです。ありがとうございます。
舞台の多ステ理由
さて、今回は多ステについてのおはなし。
自己紹介エントリの舞台・イベントを見に行く基準の部分です。
推しの界隈においては、私は強火のファンです。
公言しない程度の分別はあるけれど、そこは自他共に認めるところだろうって思っている痛い人です。果たしてそれを分別というのかはわからない。
痛い自覚ついでに言うなら、推しや同担からは私がTOだと思ってもらいたいし、むしろ私以外の誰がぐらいに内心思っています。…痛いですね。
推しが今年出演した舞台は、チケ争奪がいわゆる激戦と言われる人気作品とまでは言えなかったので、チケット事情だけを考慮すれば全通が可能でした。
単純に舞台やイベントの多ステ具合だけで言えば、今年は遠征含めて推しのファンの中では私が一番通ったと言っても正直過言ではないと思います(当然ながら多ステするファンが推しにとって良いファンか、それが推しから求められているのかと言うのは全く別です)。
舞台の上の推しが好きです。
推しの外見や、ファン対応で見せてくださったりSNSを通じたりで窺い知れる人間性、それらも私が推しを好きな要素ではありますが、それにもまして舞台に立つ姿が、その場に向き合う真摯さが、佇まいや醸し出す雰囲気が、芝居の細部ひとつひとつが心の底から大好きです。
推しの出演舞台は初日も千秋楽も当然観たいし、それ以外も問答無用で観たい。
推しが好きなればこそではあるんですが、言ってみれば私、観劇厨なんですよね(一方でグッズ厨ではないので、積んだチケ代ほどには推しの懐に貢献していないという面もあります。こちらはまた別エントリで)。
推しに関しては遠征も含めて基本的に全通勢なのですが、全く出演者のことを知らないような舞台もよく観に行きます。
推しが出演していなくても自分にとって興味を惹かれる面白い舞台であれば余すところなく観たい。
推しへのそれとはまた違うベクトルで、舞台演劇というものの刹那性をこよなく愛しています。決して広くはない空間で舞台上と客席が一体となって創り出されるものも、同じものは二度とは観ることのできない儚さも、私にとってはとても大切なものです。
推しからの出欠確認
多ステをする理由と、その多ステという行為について推しに把握して欲しいか、いわゆる出欠確認をされたいかというのはまた別のはなしですよね。
小劇場だと劇場のキャパや見送りシステム上、観劇していることを把握されるのが必然の状況となるケースもあるので、そういったケースは一旦除きます(カーテンコールで客電が点けば舞台上から客席が完全に視認できたり、ひとつしかない劇場出入口に出演者全員が並んでひとりずつご挨拶で見送られたり、みたいな状況だと否応なく把握されるので)。
出欠確認を絶対にされたい、あるいはされたくないとはっきり断言出来る方もいらっしゃるでしょうが、された方が嬉しい、どちらでも、されなくても構わない、という程度の方が私の周辺では多いような印象があります。
実際に私自身も当てはめるとすればこの層になるような。
厳密に把握されたいというよりは、なんとなくでも複数回観に来ているファンだと思われたいという欲があることを否定できません。
能動的なアクションをとる訳ではないくせに、客席に居ることをあるいは居たことを認識して貰えるのは嬉しいという厄介者です。
推しが出演している舞台を観るのは自分がやりたくてやっていることなのに、どうしてそのことを推し本人に認識されたいと思ってしまうのか。
それを考えると前段の多ステをする理由で述べたことが、とても薄っぺらく感じます。
このエントリを書いたのは、好きで強火のファンをしているという自覚のためでもあります。
舞台界隈だと茶の間論争みたいなことが大なり小なりどこでもあるものかなと思います。私の周りでも同様で、それに際して誰に頼まれた訳でもない、ただ自分がやりたくてやっていることのはずなのに、他者との比較をしてしまうことがあります。
自分の出来る範囲で、やりたい範囲で推し活はするもの。
費やしたお金と時間の報いを他者との比較で考えるのは傲りだと分かっているのにな。
どの立場であったとしても、思いそのものも含めて、自分の努力や労力が軽んじられる、またはそのように感じられることって誰しも面白くないものですよね。
だからこそこの論争に決着点はないのだろうし、私自身もこれからもきっと内心で何かを思ってしまうことはあるのだろうと半ば諦めているのですが、それを表に出さないだけの人としての分別は持ちたい。
そうは言っても、自分の方が推しのことを分かっているという態度をとられると素直に面白くなくて心の中で地団駄を踏みます。分別はどこに。
そんなことの繰り返しです。
目下の悩みは、春先に上演される推しの演出舞台の地方公演を全通するかどうかということです。
推しが関わっている舞台なので観たい気持ちは当然あるのですが、演出なので舞台には立たないというのも自分にとっては大きく、しかも地方公演ということで流石に全通まではしなくていいかもという甘えが。
とはいえ推しにとっての晴れ舞台であることは間違いないのですよね。やはり現地で全て見届けるべきか。
チケット発売までもう少し時間があるのでしばらく悩もうと思います。
こうして諦めきれずに悩む時点でおそらく全通するでしょう、笑
続・小劇場におけるファンサービスのはなし
こんにちは。
前回のエントリを見てくださった方、スターを付けてくださった方、ありがとうございました。
ブログのデザインをころころ変えているので読みにくい時があったらごめんなさい。使い勝手的にもデザインの見映えとしてもどうも気に入っていなくて試行錯誤中です。
ファンとの距離の近さ
さて前回のエントリで、小劇場・中劇場においてはファンサービスに対する労働としての比重が大きいように感じると書きました。
演者とファンの距離は、物理的なものもそうでないものも含めて、これは小劇場界隈は明確に近いと言えると思います。
物理的なことを言えば、実際に劇場で観劇する際の距離は圧倒的に近いです。
100席程度の劇場で前方席に入ると客席と舞台の近さにいつでも驚きますし、まして最前席なんて本当に目と鼻の先です。手を伸ばせば余裕で触れられてしまう。実際に手を伸ばしてしまっては当然マナー違反ですが。
認知についても、対面するファンの絶対数が違ってくるので、顔は勿論、本名やSNSアカウントまで把握されることも珍しくありません(個々の役者さんのスタンスや記憶力にもよるので、小劇場であれば必ず認知されるという訳ではありません)。
認知の有無に限らず、舞台の終演後には面会やお見送りのシステムがあって直接お話することが可能なことも多いです。送り出しの形式的なものではなく、かなり長い時間お話することや撮影が可能な場合もあります。
また舞台の予約システムとの関係で言うと、小劇場で上演される舞台では役者さん扱いの予約フォームがある、つまりチケットノルマ及びチケットバックのシステムが取られていることも往々にしてあります。
チケットノルマがある舞台だと、役者さん側もSNSなどを通じて色々な告知や営業をされることになるでしょう。
自分のファン、過去に自分の予約フォームから予約をしたことがある人、果ては面識はなくともその舞台について興味があるような投稿をしている人に、直接お誘いの連絡をされることもあります。
TwitterでDMが来たり、フォロバされたり、場所が変われば「繋がり」と揶揄されるようなSNSを通じた絡みがある場合もあります。
営業スタイルについては本当に役者さんそれぞれなので、ノルマのある舞台であっても個別の営業はしない方もいるでしょうし、ノルマクリア後もチケットバックの為に積極的に営業をかける方もいらっしゃるだろうと思います。
チケットノルマ/チケットバックについては一概に劇場の規模によって取り入れられているとは言い切れないものです。
小劇場でも役者扱いのチケットが存在しないところもあるでしょうし、中劇場でも積極的に取り入れているところもあるでしょう。
中劇場より大きい箱になると流石に役者扱いチケットの話は余り聞かなくなるような気がします。その場合はノルマではなく、物販の売上などで役者さんの人気度を測るというようなことが行われていたりするんですかね。
推しのスタンス
ここまで一般論としてのファンとの距離の近さを述べてきた訳ですが、ここからは実際に私の推しがどうなのかということを。
認知について。
ご本人も観劇や会いに来てくれるファンの顔と名前は覚えたいと公言されており、覚えることも得意で記憶力もとても良い方なので、認知されるのは早いですし、かなり広い範囲で認識されていると思われます。
認知のタイミングについて、とある接触イベントで推しから直接聞く機会*があったのですが、実際に私も初めて直接お話した時のことを記憶されていました。
もう何年も前の、当時は特に積んでもいない新参ファンと初めて対峙した時のことを覚えていてくださったことに正直びっくりしましたが、私が特別早く覚えられていたということではなく、誰のことも本当に早く覚えてくださっているという、単純に認知がめちゃくちゃ早い方です。
*「私のことをいつから自分のファンとして認識していますか?」というのを推しに尋ね、同担も居並ぶ中でそれぞれが推しから回答を貰うという、なんというか恐怖の会話が繰り広げられたイベントでした。
自分と推しの認識に乖離があった場合、かなりのダメージを負うこと必至。推しからしても気まずいですよね。限定イベントで、ほぼ顔見知りのガチなファンしかいない場だったからこその会話だったと思います。推しだって普段からそんなことは答えてくれないし、答えたくもないでしょう。
負担を承知でその場限りで応えてくださった珍しい機会でしたが、何がきっかけでイベント全体としてそんな会話の流れになったかはもはや謎です。
SNSでの交流はスタンスとしてファンと距離を置かれています。
基本的にTwitterのリプ返はしないことを明言されているので、フォロワー数からすると付いているリプの数は少なめだろうと思います。
だからこそ稀にリプ返してくださる機会があると嬉しいのですが、その時ばかり反応している同担に私は密かにモヤモヤしています。
いや、良いんですよ。推しだってそのツイートへの反応がいつもより増えることを見越しているし、期待している訳ですから正しい反応なんですが、ただただ私の心が狭いだけです。
応援し始めた当初と比べると、役者扱いのチケットのある舞台に出演される機会が今は少ないので、予約にまつわるあれこれからは解放されています。チケット購入はひたすら公式やプレイガイドでポチポチするのみ。
今より小さい箱に立たれていた当時も面会やお見送りはしてくださっていたけれど、予約の営業をSNS上で直接かけられたことは私はないです。
同担にしていたかは知らないですし、知る必要もないことですが、あくまで私にとっては推しはその手の営業はしない人という認識です。
距離の近さが産む勘違い
最初はその距離の近さに驚いても、不思議なものでいつの間にかその状態に慣れて行くんですよね。
認知されること、話しかけていただけること、SNSなどで反応してもらえることなど、提供されるものに慣れて、やってくれることが当たり前になっている状態は怖いなとも思います。
役者としての活動を続けていく中で付随して必要となる仕事と言えるのかもしれませんが、どこまでが仕事でどこからがそれを越えたサービスなのかという境界線は曖昧だなと思うことが多いです。
全部が仕事と言ってしまえばそれはそうなのかもしれませんが、言い換えるとどこまでがやるべき仕事で、どこまでがやった方が良い仕事で、どこまでがやってもやらなくても良い仕事なのかは難しいなと。
本業に付随する仕事や無償労働が発生するのは、役者に限らずどの仕事でも起こりうることで、無償のサービスが存在しない仕事というのは現実的ではないのかもしれません。
人気商売と言われることもある仕事だからこそ、それを積極的にこなせる人が評価されるのかもしれません。
そしてその提供されるサービスに一喜一憂するファンとしての自分自身がいることも紛れもない事実です。
だからこそ、好きの気持ちを免罪符に相手に求めすぎていないか、負担をかけていないか、せめてその自覚を忘れずにいたいものです。
小劇場におけるファンサービスのはなし
こんにちは。
前回のエントリにスターなどありがとうございました。
まだあまりはてなブログの仕組みがわかっていません。複雑で難しいですね。
さて、今回は推しのこと。
というよりは小劇場〜中劇場に立つ舞台役者さんや界隈について、消費する立場として思うことを書いていこうかなと。
小劇場・中劇場とは
ちなみに前提として、私の考える劇場の括りは以下の通りです。
小劇場:200席未満
中劇場:200席〜500席程度まで
Wiki先生によると、小劇場の定義は300席以下とされているようですが、自分の体感として客席が100と300では劇場で座った際の見え方をはじめ、予約にまつわる様々なシステムも違ってくるように感じるので、ざっくり200席を区切りにしています。
中劇場の上限も難しいところですが、オペラグラスが不要な劇場が範疇内かなと。
もちろん人によるとは思いますが、後方席でも基本的には肉眼で観劇出来るような箱のことを想定しています。
例えば、全労済ホール/スペースゼロ(客席584)だとか、紀伊國屋ホール(客席418)だとか、シアターサンモール(客席294)だとかはこの括りなのかなと。
こう見るとスペゼロのキャパが大きく感じますが、実際に舞台を上演する際にはもう少し席数は減らされていることが多いですよね。
私の推しはこれらの劇場を主戦場にしています。
2.5系の舞台を中心に活躍されている役者さんでも、ストレートの舞台に出演される際はこれくらいの規模の劇場に立つという方はいらっしゃるのではないでしょうか。
逆に私の推しがそれなりに大きな舞台だったり、原作物などに出演する際はもう少し大きい劇場に立つこともあります。いわゆる2.5系の舞台においても、若手俳優さんだけで成り立っている舞台もありますが、少し年齢が上のキャストや女性キャストもキャラクターとして必要となる舞台もありますよね。
そういうポジションとして出演することもある、というのが私の推しの立ち位置です。
年齢が若ければ今で言う若手俳優さんのポジションだったのだろうかと考えもしますが、難しいところですね。
キャリアを重ねたからこその今の立ち位置な訳で、単純に年齢が時代にあっていればそのポジションに居られるほど優しい世界ではないだろうことぐらいは、盲目ファンの私にも分かるのです。
小劇場・中劇場におけるファンサービス
テレビや映画などの映像出演で多くの人に名を知られている役者さん、2.5系を代表とする版権物への出演で沢山のファンを獲得されている役者さん。
仕事である以上、どの立場がより大変だなんてことはなく、その立場ならではの苦労だったり重圧だったりは、優劣や良し悪しで比較できるものではないと思いますが、違いが生じてくる部分はあるなと言うことを私なりに感じています。
活躍の場として立つ劇場の規模が違えど、役者としての仕事の本分は変わらない訳ですが、違いが出てくるのはファンとの距離感やファンサービスにまつわる在り方、SNSの使用を含めたシステム面なのかなと思います。より正確にはそれらに対する比重の割合でしょうか。
小劇場界隈はファンサービスに対する労働としての比重が大きいなと常々思っていて、自分はそれを甘受している立場でもある訳ですが、負担を心苦しく思ったりもやもやを感じたりすることもあります。
具体的にどういうことなの、というのは続編で。
なるべく早く次回更新したいと思います。