リアコなの夢女なのというはなし

こんにちは。

皆さん、推し事ライフ楽しんでますか。

私はそれなりです。それなりとは。

 さて、前回のエントリでは自己紹介として自分や推しのこと、推し事のスタンスをざっくり羅列したわけですが、ここからはそれぞれの項目をもう少し詳細に書いていこうかなと思います。

 

基本情報としての自分のこと

moko/都内在住/いい歳の社会人   

 都内で10年以上社会人を続けていて、独り暮らしです。

つまり、趣味に費やすお金はそこそこあって、時間の都合もきかせやすい、オタクとしては良い養分タイプということです、笑

そして実際にそのタイプに恥じないよう、日々推し事に注ぎ込んでおります。

推し事の家計簿的なものも今後書けると良いなと思っていたり。

現実を直視するのは怖いものですが、知らないふりをしている間に収支が立ち行かなくて破滅してしまうのも怖いですからね。

あれ、これなんだかダブルミーニングっぽい。

 

社会人歴から推し量れますが、年齢は30代半ばです。

小劇場の観劇層としては若くもないし、取り立てて年上というところでもないですが、若手俳優さん推しの界隈に混ざると、年上の方になるのだと思います(10代後半〜20代半ばくらいのキラキラしたお嬢さんが沢山いらっしゃるという勝手なイメージ)。

若さの勢いもないし、年配の貫禄も出せない、中途半端なところ。若々しくありたいのか、大人の女ぶりたいのか、メイクや服装にも日々悩みはつきません。

いや、10年以上前から大人は大人なんですけども。

 

実際にオシャレかどうかは置いておくとして、メイクやオシャレについて考えたり挑戦したりするのが好きです。

接触イベントなどではヘアセットにも積極的に行くタイプ。

服装は目下、フェミニン寄りのオフィスカジュアルに落ち着いています。

洋服や持ち物についてはさほどハイブランド志向ではないのですが、コスメはデパコスが好き。プチプラも好きですけどね。いい歳なのでスキンケアは念入りに。

コスメのエントリもいつか書きたいですね。迂闊に今後の更新予定を決めていくスタイル。

 

推しへの思いはガチ恋なのか

そしてここからようやくタイトルの話に。 

私は推しが好きです。大好きです。

好きで好きで好きで堪りませんが、果たして自分はガチ恋をしているリアコなのだろうかと考えると、思考の迷路に迷い込みます。

 

ガチ恋とリアコはそもそも不可分なのか。

リアコと夢女はどう違うのか。

色々な方のブログを拝見していると、皆さんそれぞれの定義付けがあって、なるほどと思わされることが多いのですが、ざっくり言うと虚構だけで満足かどうかということですかね。

もっと単純に、誰かのことが好きで、好きな人が自分以外を見ていたり、自分以外に優しかったりすると嫉妬する、というのはどちらにも当てはまるような気も。

ほぼあり得ないけれど、どれだけゼロに近くても、ゼロだと断定できないのが可能性だとしたら、その「もしも」を望むのがガチ恋だと、私は長いオタク人生の中で思ってきました。

 

推しに恋をしているのかと問われれば、しているのだと思います。

 

けれど私は、この恋が決して実らないことを知っています。

実らないことを知っていてなお、実ることを望むかと問われた時に、はいともいいえとも答えられないのが、現在の私です。

かつては明確に答えられたこともあったはずですが、はいと答えられない理由のうち、大きな要素となっているのは推しが妻帯者であるということです。

 

そう、私の推しは既婚なんです。

ちなみに推し始めた時は未婚だったはずです、おそらく。

この辺りはまた別のエントリに書きます。こうしてまた今後の予定を増やしていく、笑

 

自分自身の倫理観に照らして、それがたとえ表舞台に立つ推しだとしても、既婚者に対しておおっぴらに恋をしているとは、私は言えないのです。

個人の価値観の問題なので、他の方がどう考えるかは自由だと思いますが、あくまで私は。

 

恋をしているとはもはや表立って言えないけれど、それにも関わらず、先の問いにいいえとも答えられない。

抱えてしまったこの恋を捨てられないのが、今の私の状態をありのままに表しているのだと思います。

あり得ないもしもの恋の成就を望むリアコではなくなってしまったけれど、成就は望まないと言い切れる夢女にはなれない。

 

そう、きっと私はガチ恋の持って行き場をなくしてしまった、それでも推しのことが好きな愚かな人です。

我ながらどうしようもない。